埼玉県民同士で話していると、ときどき微妙に避けられる話題があります。
それが、
「埼玉の顔って、結局どこ?」問題。
この話を振った瞬間、空気が一段だけ慎重になる。
なぜなら、大宮と浦和、どっちも心のどこかで
「自分が埼玉の顔だ」と思っている節があるからです。
声高に主張はしない。
でも、譲る気もない。
今回はそんな大宮と浦和の“顔意識”について、埼玉県民目線で整理してみます。
まず結論:大宮と浦和、どっちも「顔」だと思っている

結論から言うと、
大宮も浦和も、自分が埼玉の顔だと思っています。
ただし、同じ「顔」でも見ている方向が違う。
- 大宮は
「人が集まる場所としての顔」 - 浦和は
「代表としての顔」
このズレが、なんとなく噛み合わない理由です。
なぜ大宮は「自分が埼玉の顔」だと思っているのか
とにかく人が集まる=中心という感覚
大宮は、埼玉県民にとってとりあえず集まる場所です。
- 乗り換え
- 買い物
- 飲み会
- 待ち合わせ
困ったら大宮。
この「とりあえず成立する感じ」が、自然と
「ここが中心でしょ」という意識につながります。
「とりあえず大宮」が便利すぎる
県外の人に「埼玉ってどんなとこ?」と聞かれたときも、「大宮あるよ」で、だいたい話が終わる。説明コストが低い。この“説明が楽”という強みが、大宮の顔意識をさらに強くします。
大宮は「埼玉の玄関口」だと思っている
大宮は、大宮駅が新幹線の停車駅ということもあり
- 人の流れ
- 情報
- 商業
すべてが通過する場所。
そのため、大宮の中では「埼玉を代表してる感覚」がわりと自然に育ちます。
なぜ浦和は「自分こそ埼玉の顔」だと思っているのか
県庁所在地という、静かに強いカード
浦和には、埼玉県庁があり公式感があります。
- 県庁
- 行政
- 文教地区
- 落ち着いた街並み
「代表を名乗るなら、こっちじゃない?」という自信が、
あまり表に出ない形で存在しています。
実は浦和、大宮はそこまで眼中にない
ここが少し意外なところですが、浦和の感覚では、大宮は直接張り合う相手ではないことが多いです。
大宮は
- 便利な街
- にぎやかな街
でも、「目指す方向が違う」。
そのため、対抗意識というより
住み分け認識に近い。
浦和が本当に意識しているのは、横浜
浦和の視線は、実は大宮ではなく、
横浜方面に向いています。
- 落ち着き
- ブランド感
- 「住む街」としての評価
この軸で見ると、比較対象は同じ県内ではなく、県外の上位都市になります。
浦和が横浜を意識している理由は、街並みやブランド感だけではありません。
かなり日常的で、どうでもいいけど、じわじわ効くエピソードがあります。
それが、会社で「どこに住んでるの?」と聞かれたときの答え問題。
会社で「どこに住んでるの?」と聞かれたとき、
浦和の人はこう答えます。「埼玉です」
一方、横浜の人は、ほぼ迷いなく、
「横浜です」
この瞬間浦和の人の中で小さな引っかかりが生まれます。
「同じ質問なのに、そっちは一段上の答え方してない?」
ケンカするほどではない。でも忘れない。
たぶんこの違和感が、浦和が横浜を“意識してしまう”一番リアルな理由です。
大宮=便利、浦和=品、という自己認識
極端に言えば、
- 大宮:使う街
- 浦和:住む街
浦和の中では、この整理がかなりしっくり来ています。
だから、大宮との“顔論争”は、
実はそこまで重要ではありません。
さいたま市という仕組みが、ややこしさを加速させた

同じ市なのに、空気が違いすぎる
大宮と浦和は、同じさいたま市。
でも、文化もテンポも違う。
結果として、
「さいたま市民です」と名乗ると、
どこか説明不足感が残ります。
「さいたま市民」と言った瞬間に起きる違和感
多くの場合、心の中で
「大宮?浦和?」
という補足が走る。
この一言で済まない感じが、
顔論争を終わらせない原因です。
川口・所沢などから見ると、大宮と浦和はこう見えている
川口視点:「どっちが顔かは正直どうでもいい」
川口から見ると、大宮と浦和の話は
かなり内輪に見えます。
- 生活圏は東京寄り
- 基準は便利かどうか
そのため、「顔かどうか」より「使うかどうか」。
大宮も浦和も、必要なら行く場所、という距離感です。
所沢視点:「その話、うちは別枠です」
所沢は、
さらに別の世界にいます。
- 西武線文化
- 独立した生活圏
そのため、大宮と浦和の論争は、ニュースとしては見るけど、
自分ごとではない。
顔より沿線。
その横で、与野はだいたい静かにしている
ちなみにこの話、与野の気持ちはほとんど考慮されません。
与野の人は、この手の話題になると、
だいたい一歩引いた位置にいます。
- 大宮ほど前に出ない
- 浦和ほど誇らない
- でも確実にそこにいる
会社で「どこに住んでるの?」と聞かれた場合も、
「埼玉です」「さいたま市です」
あたりで、話を丸く収めにいく。
横浜を意識する余裕もなければ、大宮と張り合う気もない。
ただ、空気を読んで、
ちょうどいいところに立つ。
この感じが、
与野です。
でも結局、どっちも埼玉の顔である
役割が違うだけで、どちらも必要
- 大宮:動
- 浦和:静
この2つがあるから、
埼玉はバランスを保っています。
結論:大宮と浦和が張り合ってるうちは、埼玉は平和
大宮と浦和は、張り合っているようで、
実は同じ方向を見ていません。
- 大宮は「埼玉の中」を見ている
- 浦和は「埼玉の外」を見ている
だから決着はつかない。
そして、そのくらい曖昧な方が、
埼玉らしい。
おまけ:埼玉県民がこの話題で一番困る瞬間
県外の人に
「で、どっちが埼玉の顔なの?」
と聞かれたとき。
このときの正解は、
「どっちも、です」。
たぶんそれが、一番平和です。
この記事を書いた人

だいたい埼玉|埼玉在住45年
埼玉在住会社員、生まれてからずっと埼玉県民。埼玉を誇るのは少し照れるけど、
ディスられると一応フォローするタイプです。このサイトでは、埼玉の無駄知識を書いています。


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