「埼玉西武ライオンズって、埼玉の球団だよね?」
この質問、
埼玉県民にすると一瞬だけ間が空くことがあります。
「うん、まあ…埼玉だけど」
「所沢だしね」
「西武だし…」
否定はしない。
でも、胸を張って“埼玉です”とも言い切らない。
不思議な距離感です。
名前にはちゃんと「埼玉」が入っているし、本拠地も間違いなく埼玉県。
それなのに、なぜか“埼玉代表感”が薄い。
というわけで今回は、埼玉西武ライオンズはなぜ埼玉県民から
「ぜんぜん埼玉と思われてないのか」という、
ちょっと失礼で、でも割と本気な話をします。
なぜ埼玉感が湧かないのか

埼玉西武ライオンズ
名前に「埼玉」は入っているのに、実感が追いつかない
埼玉西武ライオンズ
という名前を、文字だけ見れば「完全に埼玉の球団」です。
でも埼玉県民の感覚としては、この「埼玉」がちょっと後付けっぽく感じる。
理由は単純で、「西武」の存在感が強すぎるから。
ライオンズ=西武
西武=沿線
沿線=生活圏
この連想が先に来てしまって、「県代表」というより
「西武のチーム」として認識されがちです。
名前は埼玉。でも感覚は、まだ西武。
本拠地が所沢なのに、説明が必要になる問題
ライオンズの本拠地は所沢。これは事実です。
ただ、埼玉県民同士でも「所沢ってどのへん?」という説明が必要になることがあります。
所沢は埼玉県の中でもちょっと独特な立ち位置で、
- 東京でもない
- さいたま市でもない
- 西武線文化が強い
結果として、「埼玉のど真ん中」というイメージが湧きにくい。
球団が悪いわけではなく、所沢が悪いわけでもなく、埼玉の地理感覚がふわっとしているだけです。
アクセスの話になると、空気が変わる
「西武球場前駅」という駅名、冷静に考えるとかなり潔いです。
目的地が駅名になっている。
ただ、埼玉県民がライオンズの話をするとき、アクセスの話題になると少しだけトーンが落ちます。
- 西武線限定
- 乗り換えが前提
- 車の方が楽な場合も多い
結果として、「県民みんなが気軽に行く場所」という感覚が育ちにくい。
“行く人は行く”場所になってしまっているのが、埼玉感が薄く感じられる一因です。
埼玉県民は「地元代表」を前に出すのが苦手
そもそも埼玉県民は、地元を代表するものを声高に語る文化があまりありません。
- 自慢しない
- 反論もしない
- まあ、あるよねで済ませる
ライオンズに対しても同じで、
「応援してる人はちゃんといる」「でも全員で押し出す感じではない」
この温度感が、外から見ると「埼玉に根付いてない?」という誤解につながります。
東京が近すぎて、県の輪郭がぼやける
これはもう、埼玉あるあるの最終兵器です。
東京が近すぎる。
- 試合の話題も都内基準
- 他球団との比較も東京軸
- 生活の中心が分散する
その結果、ライオンズも「埼玉の中の存在」ではなく「首都圏の中の一チーム」として扱われがちになります。
ここまで来ると、埼玉感が湧かないのはライオンズの問題というより、埼玉という県の性格そのもの
と言った方が正確かもしれません。
それでもライオンズは、ちゃんと埼玉に根付いている

画像:西武ホールディングスhttps://www.seibuholdings.co.jp/location-service/00033/
所沢という街と、かなり深く結びついている
埼玉感が薄いとは言いましたが、ライオンズと所沢の結びつき自体は、かなり強いです。
試合がある日は
- 駅の空気が変わる
- 人の流れが一気に球場方向へ向く
- 「今日はある日だな」とわかる
この感じは、完全に地元球団のそれです。
観光地的な盛り上がりではなく、生活の一部として存在している。
派手ではないけど、確実に街のリズムを作っています。
ライオンズがなかったら成立しない風景がある
所沢周辺には、「ライオンズ前提」で成立している風景がいくつもあります。
- 試合日に合わせた店の動き
- 球場基準の人の流れ
- 駅名そのもの
これはもう、後から来たコンテンツではなく、街の構成要素です。
埼玉県民があまり意識していないだけで、ライオンズはちゃんと「埼玉の中核」を担っています。
埼玉県民が思っている以上に「外からは埼玉代表」
面白いのはここで、県外の人から見ると、ライオンズは普通に
「埼玉の球団」です。
- 所沢=埼玉
- 西武球場=埼玉
- ライオンズ=埼玉
この認識に迷いがない。
つまり、「埼玉っぽくない」と感じているのはほぼ埼玉県民だけという可能性があります。
内側から見ると距離があるけど、外から見ると十分に埼玉。
このズレが、埼玉感の薄さをより強調しているのかもしれません。
派手じゃないだけで、「地元球団の条件」は満たしている
- 長年同じ場所にある
- 街と生活圏が重なっている
- ファンが世代をまたいで存在する
これだけ揃っていれば、一般的には立派な地元球団です。
ただ、埼玉県民はそれをド派手に主張しない。
結果として、「なんとなく地元感が薄い」という印象だけが残る。
埼玉らしさは「静かに続いている」こと
ライオンズは、声高に「埼玉」を名乗りません。
でも、
- なくならない
- 移らない
- 淡々と続いている
この感じは、かなり埼玉的です。
ここまで読むと、最初の「埼玉と思われてない説」は、半分正しくて、半分間違いだとわかります。
思われてないのではなく、埼玉県民が気づいてないだけ。笑
結論
結論から言うと、埼玉西武ライオンズが埼玉じゃないわけではありません。
ただ、埼玉県民が“地元感を前に出すのが下手”なだけです。
ライオンズはちゃんと所沢に根付いているし、街の風景にも生活にも溶け込んでいます。
でも埼玉県民は、それを大声でアピールしない。
東京が近すぎて、県境の感覚があいまいで、そもそも「地元を誇る」という文化に慣れていない。
だから結果的に、埼玉西武ライオンズは“埼玉の球団なのに、埼玉っぽく語られない球団”
になっているだけ。
派手ではないけど、確実にそこにある。
たぶんこれ、ライオンズが悪いんじゃなくて、埼玉らしさ、そのものです。
この記事を書いた人

だいたい埼玉|埼玉在住45年
埼玉在住会社員、生まれてからずっと埼玉県民。埼玉を誇るのは少し照れるけど、
ディスられると一応フォローするタイプです。このサイトでは、埼玉の無駄知識を書いています。


コメント